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平賀源内に関する雑学!

「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と称された人物

皆さん、こんにちは!

今回は平賀源内に関する雑学をご紹介します!

 

平賀源内とは?

平賀源内(ひらが げんない、1728年〜1780年)は、江戸時代中期に活躍した発明家・医者・本草学者・
作家・画家・地質学者・商人など、多岐にわたる才能を持つ人物です。

彼は日本で初めて電気(エレキテル)を研究したことで知られています。

それ以外にも、鉱山開発・寒暖計の改良・ガラス製造・戯作(小説)執筆など、あらゆる分野において功績を残しました。

そのため、「江戸時代の万能人」「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」とも呼ばれています。

しかし、気性が激しくトラブルが多かったこともあり、晩年は不遇な人生を送りました。

 

平賀源内の生涯

幼少期~青年期(1728年〜1752年)

平賀源内は、1728年(享保13年)の讃岐国志度村(現在の香川県さぬき市志度)の裕福な商人の家に生まれ
ました。

幼い頃から好奇心旺盛で、書物を読みあさり、独学で学問を修めました。

医者を志し、22歳で江戸に出て本草学(薬学・生物学)を学びました。

漢方医の吉雄耕牛に師事し、西洋医学蘭学)にも触れました。

 

本草学者・発明家としての活躍(1752年〜1770年)

日本各地の薬草・鉱物・動植物を調査し、医薬品開発に貢献しました。

江戸幕府の依頼で、「物類品隲(ぶつるいひんしつ)」を執筆しました。

「物類品隲」は動植物・鉱物の特性をまとめた、日本初の本草学辞典の一つです。

科学的な記録を重視し、西洋の分類学の影響を受けた画期的な書物でした。

 

発明家としての活躍
  • エレキテル(摩擦起電機)の復元
    オランダから輸入された壊れていたエレキテルを修理・復元し、日本で初めて電気の研究を行いました。
    電気の存在を江戸時代の日本人に示した功績は大きいです。

 

  • 寒暖計(温度計)の開発
    オランダ製の温度計を改良し、日本の気候に適した形に改良しました。

 

  • ガラス製造技術の発展
    蘭学の知識を活かし、国産ガラスの製造を研究しました。

 

  • 「火浣布(かかんぷ)」の開発
    耐火性のある布を開発し、火事対策に貢献しました。

 

晩年(1770年〜1780年

うなぎ屋の主人から「夏場にうなぎが売れない」と相談を受け、「本日、土用の丑の日」という張り紙を考案しました。

これが大ヒットし、現在も続く「土用の丑の日=うなぎ」の習慣が誕生しました。

その後は研究・発明・出版に莫大な費用がかかり、生活は次第に苦しくなり、事業の失敗や借金に悩まされました。

知人と口論の末、誤って殺害してしまい投獄され、1780年に獄中で病死(享年53歳)しました。

 

平賀源内の偉業(発明・功績)

  • 日本初の電気研究「エレキテル」
    オランダから輸入された摩擦起電機「エレキテル」を復元しました。
    当時の日本人には未知の技術だったため、大きな注目を集めました。
    これは日本の電気工学史において最も重要な出来事の一つです。

 

  • 寒暖計(温度計)の改良
    オランダ製の温度計を日本の気候に適した形に改良しました。

 

  • 鉱山開発
    讃岐地方で鉱山を発見し、鉱物資源の活用を提唱しました。
    鉱石の採掘技術を研究し、日本の鉱業発展に貢献しました。

 

  • 日本初の小説「風流志道軒伝」
    日本初の戯作(小説)を執筆しました。
    ユーモアと皮肉が交えられた作品で、江戸庶民の間で人気を博しました。

 

土用の丑の日にうなぎを食べる習慣を作った?

平賀源内が土用の丑の日にうなぎを食べる習慣を広めたという話は有名ですが、実際には江戸時代以前から夏にうなぎを食べる習慣は存在していました。

万葉集』にも、「夏痩せするならうなぎを食べよ」という意味の和歌があることから、古くから夏バテ防止のためにうなぎを食べる風習があったことが分かっています。

うなぎは高栄養価の食材(ビタミンA・B群が豊富)で、夏バテ対策に適していたため、暑い時期に食べられることが多かったようです。

しかし、江戸時代になると、夏場にうなぎの売れ行きが落ちることが問題になりました。

あるうなぎ屋の主人が源内に相談し、彼が考えたのが「本日、土用の丑の日」というキャッチコピーでした。

 

土用の丑の日」とは?

「土用(どよう)」とは、立春立夏立秋立冬の前18日間を指す言葉です。

「丑の日」とは、干支(十二支)に基づく日付のことです。

1年に数回、土用の丑の日がありますが、特に夏の土用の丑の日にうなぎを食べる風習が定着しました。

源内がこのキャッチコピーを広めたことで、「夏の土用の丑の日=うなぎを食べる日」という文化が根付き
ました。

現在でもこの習慣は続いており、毎年夏になると「土用の丑の日」にはうなぎを食べる人が多いですね!

 

エレキテルは医療にも使われた?

エレキテル(摩擦起電機)は、オランダから輸入された壊れた機械を、平賀源内が修理・復元したものです。

これを使って、日本で初めて電気の研究を行いました。

当時の人々は、電気の正体をよく理解していませんでしたが、

「電気には病気を治す効果があるのでは?」と考え、一種の治療器具として使用していました。

電気ショック療法のようなもので、痛みや麻痺を和らげるために、患部に電気を流します。

例えば、「関節痛」「麻痺」「神経痛」などに効果があるとされていました。

実際の効果は定かではないが、一部の人には「効いた」と言われていました。

 

偽薬(プラセボ)効果?

エレキテルの不思議な光や音に驚いた人々が、「病気が治った気がする」と感じた可能性もあります。

江戸時代版の電気治療器と言えます。

エレキテルが医療目的で使われたことは、現代の「電気刺激治療法」に繋がる発想とも言えますね!

 

「江戸時代の万能人」だった

平賀源内は、発明家・医者・作家・画家・商人・鉱山開発者など、多岐に渡る分野で活躍した「江戸時代の
天才」でした。

そのため、「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」とも呼ばれています。

  • 代表的な業績
    ✅ エレキテル(電気機械)を復元・研究しました。

    ✅ 寒暖計(温度計)を改良しました。

    ✅ 鉱山開発(日本の鉱石資源を研究)を進めました。

    ✅ 日本初の小説『風流志道軒伝』を執筆しました。

    土用の丑の日にうなぎを食べる習慣を定着させました。

彼の才能は計り知れないものがありましたが、同時に短気でトラブルも多かった人物だったようです。

気性が激しく、人と衝突することが多かったそうです。

また、気が短く、意見が合わないとすぐに怒りました。

そのため、幕府や学者仲間と対立することも多かったそうです。

発明や研究に莫大なお金を使ったため、生活が苦しくなり、商売もあまり成功せず、晩年は借金まみれだったそうです。

知人と口論になり、誤って殺害してしまい、投獄され、獄中で病死(享年53歳)しました。

もし彼が長生きしていたら、日本の科学技術がさらに発展していたかもしれませんね!

 

おわりに

平賀源内は、江戸時代を代表する「発明家」「本草学者」「文化人」でした。  

特に「エレキテル」「土用の丑の日」「寒暖計」「鉱山開発」「戯作文学」などその功績は多岐に渡ります。

もし彼が長生きしていたら、日本の科学技術がさらに発展していたかもしれませんね!

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以上となります!お読み頂きありがとうございました!

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