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新渡戸稲造に関する雑学!

日本と世界をつないだ男

Wikipediaより

皆さん、こんにちは!

今回は新渡戸稲造に関する雑学をご紹介します!

5,000円札の肖像として親しまれている新渡戸稲造

しかし彼の真価は、単なるお札の人以上に、日本と世界を繋ごうとした先駆者としての姿にあります。

著書『武士道』を通して日本人の精神性を世界に伝え、国際連盟では平和のために尽力した国際人でした。

今回はそんな新渡戸稲造の生涯と功績、そしてちょっとした雑学までを紹介します。

 

📜 新渡戸稲造の生涯

👶 幼少期~青年期

新渡戸稲造は、1862年文久2年)に盛岡藩(現在の岩手県)にて生まれました。

家系は代々南部藩士でした。幼少より読書家で、儒学や漢学に親しみました。

札幌農学校(現・北海道大学)に入学し、内村鑑三、クラーク博士らの影響でキリスト教に入信しました。

 

🎓 海外留学と教育活動

1884年〜1890年の間には、アメリカ・ドイツで農学・経済学を学びました。

帰国後、東京帝国大学や第一高等学校などで教鞭をとりました。

西洋の学問や思想を取り入れつつも、日本の精神文化を重視した教育を推進しました。

 

✒️『武士道』の執筆

1899年には、欧米人に日本の精神性を説明するために、『武士道』を英語で執筆しました。

Bushido: The Soul of Japan(武士道 日本の魂)』は世界的ベストセラーとなり、後の国際的評価に大きな影響を与えました。

 

🌎 国際的な活躍

1920年には、日本代表として国際連盟に出席し、副事務次長に就任しました。

国際機関においては、日本人初の高官でした。

国際平和のために尽力し、アジア人代表として尊敬を集めました。

 

👴 晩年

晩年まで教育・平和・国際理解のために活動しました。

しかし、1933年にカナダ・ビクトリアにて急逝しました。享年70歳でした。

 

🏆 新渡戸稲造の偉業・功績

新渡戸稲造は様々な分野において、偉業・功績を残しています。

  • 教育:日本の近代教育の基礎を築き、多くの若者に西洋と東洋の調和を説きました。

  • 思想:『武士道』を通じて、日本文化の精神性を世界に伝えました。

  • 国際貢献    国際連盟副事務次長として、国際平和と相互理解に貢献しました。

  • 農政:農学者として農政改革にも携わり、日本の農業近代化を後押ししました。

 

📖 武士道は海外で人気だった理由

新渡戸稲造は、アメリカ留学中に「日本人は宗教もなく、道徳もない民族ではないか?」と問われ、強い衝撃を受けます。

この疑問に答えるために、1899年に英語で著したのが『Bushido: The Soul of Japan(武士道 日本の魂)』です。

『武士道』は英語で書かれており、日本文化に馴染みのない欧米人にも分かりやすい内容でした。

キリスト教的な道徳と対比しながら、日本人の精神文化の根底にある武士道精神を論理的に解説しました。

特に「忠誠」「礼」「義」「名誉」といった価値観が、欧米の騎士道に通じるとして共感を呼びました。

 

📚 セオドア・ルーズベルトとの関係

第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、『武士道』の熱心な読者として知られます。

書籍を何冊も購入して配布し、日露戦争後のポーツマス講和会議(1905年)で日本に好意的な判断を下す背景にもなったと言われています。

 

📝 日本語訳の遅れ

英語圏でベストセラーとなった一方、日本語訳が出版されたのは1908年と約9年後でした。

日本国内では「日本人には当たり前すぎる」「西洋人向けに書かれた」との見方もあり、最初の反応は控えめでした。

 

🌎 新渡戸の国際的教養とバランス感覚

新渡戸は以下の言語を操ったとされています。

これはすべて、学問や外交、宗教、教育などで必要とされた言語であり、新渡戸が世界を舞台に活躍する基盤となりました。

 

🎌 欧米文化と日本精神の融合

西洋の合理性・近代思想に学びながらも、日本人としての精神性(和・礼・誠)を重んじる姿勢が一貫して
いました。

海外での講演でも、「日本人であることを恥じず、むしろ誇りに思え」と語っています。

1920年代、ジュネーブに本部を置く国際連盟の副事務次長に就任しました。

多言語・多文化環境での円滑な調整能力と中立性が評価され、「東洋の知恵を体現する人物」として信頼されました。

 

🙏 内村鑑三との出会い

新渡戸は札幌農学校時代に内村鑑三キリスト教思想家・無教会運動の提唱者)と出会い、大きな影響を受けます。

二人ともキリスト教に深く傾倒しましたが、「教会制度に属さない信仰の在り方」を大切にしました。

無教会主義とは、教会に通うことや牧師による説教よりも、聖書そのものを読み、自分自身で神と向き合う
信仰を重視する考え方です。

明治期の日本において、「形式にとらわれない自由な信仰」として知識層に支持されました。

新渡戸は理知的で柔軟な信仰を持ち、宗教的独立心を重んじました。

彼の著書や講演には、「道徳とは宗教に基づくべきであり、宗教とは形式ではなく精神である」との思想が
繰り返し現れます。

 

おわりに

新渡戸稲造は、剣を捨てた武士の精神を筆に託し、世界に日本の心を伝えた人物でした。

キリスト教徒でありながら、東洋の思想を尊重し、異文化との対話を大切にしたその姿勢は、まさに国際人の先駆けとも言えるものです。

時代を超えてなお『武士道』は読み継がれ、彼の志は静かに、しかし力強く私たちに問いかけてきます。

今を生きる私たちもまた、自らの信念と誠実さをもって、世界と向き合うことが求められているのかもしれ
ません。

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以上となります!お読み頂きありがとうございました!

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