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円山応挙に関する雑学!

写実の美を極めた江戸時代の巨匠

Wikipediaより

皆さん、こんにちは!

今回は円山応挙に関する雑学をご紹介します!

写実的でありながら温かみのある筆致で、日本絵画に新たな風を吹き込んだ画家・円山応挙

江戸時代中期から後期にかけて活躍し、花鳥画や風景画をはじめとする多彩な作品を残しました。

特に写生を重視する姿勢は、後世の画壇に大きな影響を与え、日本美術史においては欠かせない存在となっています。

この記事では、円山応挙の生涯とその偉業、そしてちょっとした雑学までを詳しくご紹介します。

 

📜 円山応挙の生涯

円山応挙(まるやま おうきょ、1733年〜1795年)は、江戸時代中期を代表する絵師です。

丹波国(現在の京都府亀岡市)に生まれ、若い頃に京都へ出て狩野派や円山派の絵を学びました。

当初は、玩具絵や眼鏡絵を手がけて生計を立てていましたが、その独自の写実的な画風が評判を呼び、次第に名声を高めていきます。

応挙は自然観察を重視し、花鳥や動物、風景を緻密かつ生き生きと描きました。

とりわけ「雪松図屏風」や「写生図巻」などは、彼の自然描写の真骨頂として今も高く評価されています。

 

🖼️ 円山応挙の偉業

円山応挙の最大の偉業は、日本絵画に写生を取り入れたことです。

それまでの日本画は形式的な表現や想像を基にした描写が多かったのに対し、応挙は実際の自然や動物を観察し、その姿を忠実に描き出しました。

さらに、彼は「円山派」と呼ばれる画派を築き、多くの弟子を育てました。

円山派は京都画壇を中心に発展し、日本美術史に大きな影響を与えました。

応挙の画風は後の「四条派」にも受け継がれ、江戸から明治にかけての日本画の基盤を形作りました。

また、応挙は寺院や城郭の障壁画も数多く手がけ、特に大乗寺兵庫県)には彼と弟子たちによる重要な作品群が残されており、現在も国指定の文化財として保存されています。

 

👻 幽霊画で有名

円山応挙は、日本における幽霊画のスタイルを決定づけた人物として知られています。

特に有名なのが、足のない幽霊の姿を描いたことです。

当時までの幽霊は、生者とほとんど変わらない姿で描かれることが多かったのです。

しかし、応挙が「足のない、ふわりと漂う幽霊」を描いたことで、そのイメージが広く定着しました。

それ以降、浮世絵や怪談話に登場する幽霊は足がないというのが一般的になり、現代に至るまで日本の幽霊像に強い影響を与えています。

 

🐾 動物好き

応挙は花鳥画や風景画だけでなく、小犬や猫、金魚、昆虫など身近な生き物を数多く描いています。

特に「子犬図」「雪松図屏風」などは、写実的でありながらどこか温かみを感じさせる表現で、多くの人々を魅了しました。

単に写実するのではなく、生命の持つ柔らかさや愛らしさを丁寧に表現している点に、応挙の観察眼と優しい人柄が滲み出ています。

 

🏚️ 庶民的な人柄

応挙は、大名や高僧などの上流階級からも注文を受けるほどの名声を持っていましたが、一方で町人や商人といった庶民にも広く作品を提供していました。

描く題材も、寺院の荘厳な仏画や格式高い屏風絵に限らず、身近な草花や動物、風景など日常に寄り添うものが多かったのです。

この親しみやすさから、応挙は「庶民の画家」と呼ばれ、多くの人々の心をつかみました。

 

⭕ 死後も影響力大

応挙の没後、その弟子たちが彼の画風を受け継ぎました。

中でも代表的なのが呉春(ごしゅん)で、彼は応挙の写生重視の精神を引き継ぎつつ、発展させました。

こうして形成された「四条派」は、江戸後期から明治期にかけて大きな勢力となり、近代日本画の発展にまで繋がります。

応挙の写実と温かみの調和という芸術観は、彼の死後も長く受け継がれて、日本美術の重要な礎の一つとなりました。

 

おわりに

円山応挙は、徹底した写生を通じて自然の美を描き、日本画に新しい方向性をもたらした巨匠です。

幽霊画や動物画に見られるユーモアや優しさも魅力で、格式張った画壇に新風を吹き込みました。

写実の精神を広め、後世の日本美術に大きな遺産を残したその存在は、今も多くの人々を惹きつけています。

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以上となります!お読み頂きありがとうございました!

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