皆さん、こんにちは!
今回はパルテノン神殿に関する雑学をご紹介します!
パルテノン神殿は、古代ギリシャのアテネにある神殿で、アクロポリスの丘の上に位置しています。
以下に建築の歴史、用途、彫刻の美、アテナ女神像、爆発による被害などについて詳しく説明します。
建築の歴史
- 建設時期
パルテノン神殿は、紀元前447年から紀元前432年にかけて建設されました。
アテネの黄金時代に建てられた神殿で、ペリクレスの指導のもとに建築家のイクトニコスとカリクラティス
が設計しました。
- 建築目的
神殿はアテネ市の守護神であるアテナ女神に捧げられたもので、市民の威信と信仰の中心地としての役割を
果たしていました。
神殿の用途
- アテナ女神への奉納
パルテノン神殿はアテナ女神に捧げた神殿で、アテナ女神は知恵、戦略、工芸を司る神とされています。
- 儀式と祭典
神殿では、アテナ女神への奉納儀式や市民の祭典が行われました。
祭典はパナテナイア祭などが有名です。
ドリス様式
- 建築様式
パルテノン神殿は、ギリシャ建築のドリス様式を代表する建築物です。
ドリス様式は、柱が太く直線的で装飾が少なく、力強いデザインが特徴です。
- エンタシス
ドリス様式の柱にはエンタシスと呼ばれる中央部のわずかな膨らみがあります。
この膨らみによって柱がまっすぐに見えるように調整されています。
彫刻の美
- フィディアスの作品
彫刻家のフィディアスが、神殿のメトープ、フリーズ、ペディメント(破風)などを制作しました。
彫刻は神話のエピソードや祭典を描いています。
- 神殿の装飾
メトープは神殿の外壁に配置され、神話の物語を描いていました。
フリーズは神殿の内外に配置され、祭典の行列を表現しています。
巨大なアテナ女神像
神殿内にはフィディアスが制作した象牙と金を使った巨大なアテナ女神像が安置されていました。
この像は12mにも及ぶ大きさで、豪華な装飾が施されていました。
残念ながら、女神像は中世以降に失われ、現存していません。
ローマ時代以降の変遷
- キリスト教の教会
ローマ時代には、パルテノン神殿はキリスト教の教会として改築されました。
- オスマン帝国時代
オスマン帝国時代には、神殿はモスクとして改築され、一部が変更されました。
爆発による被害
- 1687年の爆発
1687年、ベネチアとオスマン帝国の戦争中に、神殿が火薬庫として利用されていたため、ベネチア軍の砲弾が命中して爆発しました。
- 損傷の程度
爆発により神殿は大きな損傷を受け、外壁や彫刻作品が破壊されました。
これによって神殿の美しい彫刻の多くが失われました。
エルギン・マーブル
- トーマス・ブルース・エルギン卿
19世紀初頭、イギリスのトーマス・ブルース・エルギン卿が神殿の彫刻作品をロンドンに持ち帰りました。
これがエルギン・マーブルと呼ばれる彫刻作品です。
- 返還問題
現在もエルギン・マーブル(エルギンの大理石)の返還問題が続いています。
ギリシャ政府は彫刻の返還を求めていますが、ロンドンの大英博物館が保有しています。
おわりに
パルテノン神殿は、その建築や彫刻、歴史的変遷によって世界中の人々に影響を与えています。
アテネを訪れた際には、アクロポリスに足を運んでパルテノン神殿の壮大な姿と歴史を感じてみてください。
以上となります!お読み頂きありがとうございました!
こんな雑学が知りたい!などリクエストがありましたら、是非コメント欄にお寄せください!