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田沼意次に関する雑学!

商業発展のために尽力を注いだ人物

Wikipediaより

皆さん、こんにちは!

今回は田沼意次に関する雑学をご紹介します!

田沼意次(たぬま おきつぐ)は江戸時代中期に活躍した老中(幕府の重役)で、商業や経済政策に力を入れ、経済発展を目指した政治家です。

彼の政策は「田沼時代」とも呼ばれ、重商主義を基盤とした財政改革が中心となっていました。

しかし、政治や改革が順調に進む一方で、賄賂や腐敗などの弊害も生じることとなり、賛否両論を招いた人物でもあります。

 

田沼意次の生涯

田沼意次享保4年(1719年)に誕生し、幼い頃から学問に励みました。

彼の才能が認められ、1747年には幕府に仕え、着実に昇進しました。

老中として政治の中心に立つと、意次は商業発展を通じた財政安定を目指しました。

彼は一時、側用人から老中に昇進し、幕政に強い影響力を持ちましたが、晩年は改革への批判や反対派からの圧力も強まりました。

最終的に失脚し、天明8年(1788年)に亡くなりました。

 

田沼意次の偉業

田沼意次の最も大きな功績は商業や鉱業、漁業を奨励することで、幕府財政を安定させようとした点です。

以下に彼の主な業績を挙げます。

重商主義の推進

意次は財政難を解決するため、商人や富裕層に課税し、商業活動を奨励しました。

これにより幕府は税収を増やし、経済を活性化させようとしました。

特に銅や銀の鉱山開発、漁業の奨励、専売制度などが行われました。

 

株仲間制度の推進

商人のギルド組織である「株仲間」を奨励し、商人たちが団結して経済活動を行うことを促しました。

この制度により商業活動が活発化し、幕府も株仲間からの税収を確保できました。

 

治水事業の推進

意次は財政の改善だけでなく、民衆生活の向上も目指しました。

特に治水事業に力を入れ、江戸や他地域の治水工事を行い、災害の防止や農業用水の確保を図りました。

これは長期的な経済発展を視野に入れた政策でした。

 

賄賂の横行

田沼意次の時代は「田沼賄賂」という言葉が生まれるほど、賄賂が横行していたとされています。

意次は財政の立て直しのため、商業を奨励し、株仲間制度(商人のギルド)を積極的に活用しました。

しかし、商人たちが田沼に賄賂を贈ることで特権を得やすくなりました。

このため、賄賂や賄賂を受ける慣行が庶民の間にも知られるようになり、批判を浴びました。

賄賂は意次自身が直接関与したわけではないとする見方もあります。

しかし、重商主義政策によって商業活動が活発になるにつれ、経済活動に伴う不正も増加してしまいました。

これが庶民の不満を募らせ、田沼の政策全般への信頼を低下させる要因となりました。

 

「そろばんの政治」

田沼意次の政策は、収益を生み出す活動に重きを置く「そろばんの政治」として知られています。

この政策は、従来の「農業中心」の経済政策とは異なり、商業を活用して財政安定を図るものでした。

具体的には、銅や銀などの鉱業を活性化させ、また専売制(幕府が特定の商品を独占的に販売する制度)を
取り入れることで利益を確保し、収益を上げようとしました。

しかし、幕府が経済的な効率と利潤を重視するようになったため、庶民には商人や豪商だけが優遇されているように見え、格差が広がる原因ともなりました。

これは「経済効率」を前面に押し出した政策に対する反感を招き、田沼の政策全般への反発を強めること
となりました。

 

株仲間による独占批判

田沼意次は、商人たちが共同で活動しやすいように、株仲間制度を強化しました。

株仲間は現代のギルドのようなもので、商人たちが協力して活動し、利益を上げやすくなるという利点が
ありました。

また、幕府はこの株仲間からも税収を得ることができ、経済の活性化を促進しました。

しかし、株仲間が独占権を持つようになると、物価の高騰や市場の競争の制限といった問題が発生しました。

例えば、米価が高騰し、庶民の生活が圧迫され、これにより「田沼政治は庶民に対する負担を増やしている」との批判が広がる結果となりました。

 

天明の大飢饉

田沼の政治が終わりに近づいた天明2年(1782年)から天明8年(1788年)にかけて、日本では深刻な飢饉が発生しました。

これを「天明の大飢饉」と呼び、冷夏や異常気象が原因で米の収穫が激減したため、全国的に食糧不足と
なり、多くの人々が苦しむこととなりました。

天明の大飢饉による打撃が大きかったため、田沼の商業重視政策が庶民の生活改善に貢献しなかったとして
非難され、意次の改革への反発が一層強まりました。

また、飢饉の影響で経済が悪化すると、民衆の間に不満が高まり、田沼が幕府を私物化しているとみなされることもありました。

結局、田沼意次は失脚し、彼の改革も終了しました。

 

おわりに

田沼意次は、江戸時代における異例の経済重視政策を実行した人物です。

重商主義を推進し、商人や富裕層からの税収を増やすことで、幕府の財政難を解決しようとしましたが、腐敗や賄賂の問題が影を落とし、改革は成功に至らなかったとされています。

それでも彼の政策は、後の時代における財政改革の参考とされ、歴史的な意義も高く評価されています。

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以上となります!お読み頂きありがとうございました!

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