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山王祭に関する雑学!

🏮 江戸の粋と格式を今に伝えるお祭り 🏮

皆さん、こんにちは!

今回は山王祭に関する雑学をご紹介します!

 

 

📜 山王祭の起源と歴史

山王祭の歴史は、なんと約1,000年以上前にまでさかのぼります。

平安時代の初期、武蔵国(現在の東京都・埼玉県)一帯を治めた豪族が山王信仰を広めたことが起源とされ、室町時代には既に日枝神社の祭礼として定着していました。

江戸時代になると、徳川家康江戸城の裏鬼門(南西)を守る守護神として日枝神社を厚く信仰しました。

3代将軍・徳川家光の時代には、江戸城内への神輿渡御が許され、将軍自ら見物するなど幕府公認の国家的行事となりました。

山王祭神田祭は交互に隔年で盛大な神幸祭を行う伝統が続いており、その慣習は今も残っています(奇数年は山王祭神幸祭を実施)。

 

🚩 山王祭の構成と行事内容

山王祭はおよそ11日間にわたり行われ、多彩な神事・行事が開催されます。

  • 神幸祭(しんこうさい)
    山王祭のハイライトである神幸祭は、隔年で開催される大行列です
    約500人もの行列が東京の中心地を巡行し、かつての将軍家の守護神が町を巡るという由緒ある儀式を再現します。
    ルートは日枝神社から皇居周辺、銀座、日本橋、丸の内などを巡るもので、現代の東京の風景と歴史的な行列の対比も見ものです。

 

  • 氏子各町神輿渡御
    地元氏子(うじこ)町会の神輿が町を練り歩き、祭りの熱気を盛り上げます。
    鳴り物や掛け声が響き渡り、地域全体が一体となる風景が広がります。

 

  • 稚児行列(ちごぎょうれつ)
    子どもたちが可愛らしい装束を着て行進する稚児行列は、観客にも人気の高いイベントです
    子どもたちの成長と健康を願う意味も込められています。

 

  • 里神楽奉納
    日枝神社では、神前にて古典芸能である「里神楽(さとかぐら)」が奉納されます。
    静寂の中で奏でられる笛や太鼓の音と優雅な舞が神様に捧げられ、観客を厳かな雰囲気に包み込みます。

 

🏮 山王祭の楽しみ方

山王祭では、伝統行事の他にも一般来場者が楽しめるポイントがたくさんあります。

  • 境内の屋台:定番のたこ焼き、金魚すくい、射的などで祭り気分を満喫できます。

  • ご朱印巡り:山王祭期間限定の御朱印や特別お守りが授与されます。

  • 和太鼓・民謡イベント:時折境内で行われる演奏や踊りが披露されます。

さらに、山王祭の行列が進むルートにはビジネス街や観光スポットが点在しており、丸の内や銀座といった街でショッピングとあわせて楽しむこともできます。

 

📌 山王祭の開催情報(例年)

山王祭の例年の開催情報は以下の通りです。

※最新のスケジュールは公式HPなどで確認を!

 

🔎 なぜ「山王」と呼ぶのか?

「山王(さんのう)」という呼び名は、山の神としての信仰対象に由来します。

日枝神社の御祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)は、古くから山の守護神・農業神・水の神として、信仰されてきました。

この大山咋神は、滋賀県比叡山のふもとの日吉大社(ひえたいしゃ)を総本社とする山岳信仰山王信仰(さんのうしんこう)」の中心的な神です。

日吉大社では、山を神体とする自然崇拝の影響が色濃く、そこから分霊を勧請したのが、江戸の「日枝神社」となります。

「山王さま」という呼び名は、比叡山のことを仏教的に「山王権現(さんのうごんげん)」として神仏習合的に崇めていた名残でもあります。

特に平安時代以降は天台宗の守護神としての性格も強まりました。

江戸時代に入ってからは、徳川家康がこの神を江戸城の鎮守として迎えました。

裏鬼門(南西)を守護する重要な神社として篤く崇敬され、「山王権現」という呼び名で広く知られるようになりました。

 

神幸祭が中止になることも?

神幸祭は、山王祭の中でも特に格式が高く、日枝神社の御神霊が神輿に乗って氏子地域を巡幸する荘厳な行事です。

しかし、その開催には多くの人員と準備が必要なため、悪天候や社会的事情によっては中止・縮小されることがあります。

例えば、大雨や台風接近の場合は、観客や担ぎ手の安全のために延期や中止されることがあります。

2020年〜2021年の新型コロナウイルス感染症の影響では、大勢が集まる行列の実施が見送られ、神事のみの縮小開催となりました。

このように、時代の状況や安全への配慮を踏まえ、神幸祭の形は柔軟に対応されてきました。

ただし、例え行列が中止になったとしても、神事そのものは必ず執り行われるのが特徴です。

 

🏮 神田祭との関係は?

山王祭神田祭との関係は、江戸時代から始まった「隔年交替制(かくねんこうたいせい)」に深く関係しています。

これは、両祭りの神幸祭(将軍への御神幸)を交互に行うという制度です。

江戸時代には、山王祭神田祭はともに「天下祭(てんかまつり)」と呼ばれ、将軍家が見物した特別な祭礼でした。

当時の江戸城ではセキュリティ上、神輿が年に何度も出入りするのは好ましくありませんでした。

そのため、1年おきに山王祭神田祭神幸祭を交互に開催するという決まりができました。

この伝統は、現代においても受け継がれており、現在でも、

という形になっています。

なお、神幸祭のない年でも、両祭ともに神事や境内行事は行われており、規模は小さくなりますが、祭の伝統は保たれています。

 

おわりに

山王祭は、ただの賑やかな祭りではなく、江戸の歴史、徳川幕府の権威、町人文化、そして神道の信仰が融合した奥深い伝統行事です。

現代の大都市・東京の中で、過去と現在を繋ぐタイムトラベルのような体験を味わえるのが、山王祭の大きな魅力です。

静寂と賑わいが交錯するその空間に、ぜひ足を運んでみてください。

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以上となります!お読み頂きありがとうございました!

こんな雑学が知りたい!などリクエストがありましたら、是非コメント欄にお寄せください!